日暮里駅に着き、南口改札を出た。
底抜けに明るい夏空の下、堂々とした佇まいの木を見つけ、高台に見える木々の葉っぱが風に揺れるのをただ眺めた。
こういう時間をまた、忘れていたことに気づく。頭だけいつも忙しく、日々を送るだけで精一杯になってしまう。
静かな谷中霊園を通る。
若い頃は、墓地の持つ陰鬱な空気なのか、死への恐怖感からなのか、とにかく墓地を見ると避けるように歩いた。
けれど、ここ最近、谷中を訪れる頻度が上がるにつれ、今まで感じたことのない「人の眠る場所」に対する安堵感が生まれつつある。
ちょっとした広場に、いくつもベンチが並んでいた。木陰になった場所には、大きな一眼レフカメラのレンズを持った人があちこちで休憩していた。
約束の時間まで、あと20分ある。
入口からすぐの、燦々と日が当たるベンチに腰を下ろした。
空を見上げると、木の枝と枝が作り出すぽっかりと穴が空いた空間が、北海道をかたどったかのように見えた。
なにもしないで、1週間過ごしてみたいな。
緑の揺れる様をただ眺めるような日々を。
あるいは海へ潜って魚の大群とぶつかりそうになりながら、疲れて泳げなくなるまで水の中にいたい。自分よりも何百倍も大きな人間に立ち向かわんとばかりに、怒ったようにこちらへ一直線に向かってくる魚もいた。
わたしのいる陸の世界だけが、この世の中ではないことをきちんと認識し直したい。
毎年のように通った理由は、自分の住む都会の感覚を強制的にリセットしたかったからだ。
宮古島の吉野海岸で見た海中の出来事を、日暮里の空の下で思い出した。
6月のエッセイ