明日3/1より解体される予定の〈旧坂本小学校〉の見学会へ行ってきました。
こんなに特徴的でモダンなデザインの校舎を取り壊してしまうなんて悲しいなと、細部を見れば見るほど思いました。
そんな建物で見た光景や、壊される校舎に書かれた卒業生の方々による無数のメッセージ。
そこにいた子どもたちの声が聞こえてきそうな校舎の姿を、少しでも多くの方に届けたいなと思ったので、100枚の写真を載せます。
※写真は順不同です。またメッセージの一部(フルネームなど)はカットしています
入谷の復興建築「旧坂本小学校」外観
エントランス
校庭
講堂
教室
廊下・階段
窓から見えた景色
こんな部屋も
屋上
残されたことば
旧坂本小学校について
今回の見学会を通して感じたのは、通っていた人たちの心に残る建物だったということ。
ていねいに何行にもわたって書かれたものも、ひとことだけ書かれたものも、どれもその人たちの濃い思いが心に染み入るように伝わってきました。
校庭で話していた奥さまたちの声が聞こえてきて、「このあたりの地面、すべりやすかったよね」とか、ニコニコしながらもどこか最後の別れを惜しむような姿も。
〈旧坂本小学校〉は大正15(1926)年に建てられ、平成8(1996)年に閉校するまで使われていたそうです。また、校庭は昨年12月まで地域の子どもたちの習い事の場所としても使われていたとか。
建物やこれまでの経緯などは、この記事が詳しいです。
【台東区の旧坂本小】26、27日に「棟下式」開催/96年の歴史に労い / 建設通信新聞
実はわたし自身、〈旧坂本小学校〉のそばを何度も通りつつ、その存在に気づいたのは昨日のこと。正門が表通りに面しておらず、裏通りにあるため、まったく気づいていませんでした。
〈旧坂本小学校〉のことを知ったのは、『復興建築』という本。
復興建築というのは、大正12年に発生した関東大震災の後、復興事業の一環で建てられた建造物のことを指すそう。この事業で、東京の小学校のうち117校が鉄筋コンクリート造で再建されたとのこと。関東大震災では建物の倒壊よりも火災による被害が多かったと『復興建築』にも書かれています。
この本を読んで気づいたのは、自分が復興建築と呼ばれる建築物が好きだということ。下町を例に挙げれば、隅田川にかかる蔵前橋や清洲橋など。そしてターミナル駅の上野駅も。
下町育ちのわたしとしては、見慣れた景色のあれこれが、震災からの復興の願いをこめた建物だったということを知って、より大切にしたいだとかその素晴らしさをどこかで伝えられたらなと思って、最近では本を読みつつ学んでいるところです。
今回の見学会のことを知ったのは、入谷にあった銭湯〈快哉湯〉をリノベーションし、オフィス兼カフェにした建築家の中村 出さんのツイートから。建築家のお仕事のかたわら、「入谷の記憶を未来に繋ぐ会」という活動をされています。
関連記事:古い銭湯にあたらしい息吹を。銭湯をリノベしたカフェ ー 入谷〈レボン快哉湯(かいさいゆ)〉へ。
見学会の際に初めてお話ししたのですが、古い建物を守りたいという気持ちが本当に強い方で。そこに残る思いや建物の記憶を大切にされています。
今回、記事にして残しておこうと思ったのは、きっとこの建築が好きな人がまだまだどこかにたくさんいる気がするから。
そして、見学会へ来られなかった卒業生の方やゆかりのあるかたに、少しでも懐かしい記憶を思い起こすきっかけになったらいいな、と思って写真をまとめてみました。
建物は、明日3月1日より解体が始まるようです。
入谷の銭湯カフェ〈レボン快哉湯〉
学生の頃に通っていた銭湯をオフィス&カフェにした中村さんの話はいつかどこかでまとめたい。
古い銭湯にあたらしい息吹を。銭湯をリノベしたカフェ ー 入谷〈レボン快哉湯(かいさいゆ)〉へ。