「今日はおやつがあります」と、先生が白い箱をテーブルに置いた。
いつもよそよそしさを醸し出している貸し会議室が途端に色めきだった。手に職をつけようと新たな道を模索する会社員の女性や主婦に混じって、大学生のわたしは年上の女性たちに可愛がられながらその教室に通った。
もう、20年近く前のことである。
学習欲の強かったわたしは、本業の大学での勉強はそこそこに、興味のある色彩の勉強を始めた。始めは資格取得が目的だったが、次第に「この知識を活かせるとしたら、どんな仕事をしたいかな」と考え始めた。
そこで選んだのが、パーソナルカラーリストへの道。卒業後、社会人経験もないまま独立しようと思っていたわけでは全くない。でも、自分や誰かに似合う色を選べるようになったら楽しそうだなと思ったのがきっかけで、本格的にカラーの勉強を始めた。
とあるスクールで知り合った先生が個人講座を開講すると聞き、その先生のもとへ毎週通った。
その先生はワンレンボブで、よく研いだ刃物のように毛先までピシリと整っていた。顔を合わせるたびに「ヴィダルサスーンのモデルみたいだな」と思っていた。
いつ見てもメイクもばっちり、スリムなパンツスーツで現れ、そのイメージ通りにきびきびとしつつも分かりやすい授業をしてくれた。当時のわたしは、もうその立ち振る舞いだけでも憧れてしまい、似ても似つかないけれども先生のようになりたいなぁと願っていた。
心配りもスマートで、勉強に疲れたわたしたち生徒のために、頻繁に差し入れを持ってきてくれた。
そんな先生がある日持ってきてくれたのが、ここのシフォンケーキだった。
当時のシフォンケーキといえば、たいていなんだかパサっとした食感のものが多く、自分ではまず選ばないメニューだった。
「ここのシフォンケーキがいちばんおいしい」と語る先生の前で、そんなに美味しいシフォンケーキなんてあるんだろうか、と疑問を抱いたのを覚えている。
年功序列の逆バージョンで、「若い人から選んでいいよ!」と生徒の誰かが声をかけてくれた。
いちごのシフォンケーキ。
ふるふると震えて倒れそうな1ピースを紙皿で受け止め、用意してもらった小さなフォークで口に運ぶ。
つぶつぶと気泡のような生地の断面には、ひんやりと冷たさを感じるくらいしっとりとしている。水分量や空気を含む割合が多いのだろうか。お菓子を作らない自分にはよくわからない。
でも、その味わいが唯一無二だということは、わたしの数少ないシフォンケーキ人生の中でもわかったような気がした。
それから、池袋にあった店には何度か買いに行った。大学生の頃も、卒業してからふとあの味を思い出して買いに行ったことも。
そんなことがあったのをしばらく忘れていた冬の日のこと。
偶然通りがかった路地にあった黒板に目を奪われた。
「まさか、池袋にあったシフォンケーキ屋では……!」
予感は当たった。池袋から世田谷線の若林へ移転していたのだった。
ショーケースに並ぶシフォンケーキの奥では、イートインスペースが用意されていた。
ひとくち食べたら、あの頃の味のままで嬉しさと懐かしさで胸がぎゅうっとなった。
その当時のこと。先生の講座を受け終わった後、色彩検定1級に合格した。卒論と同時進行だったわたしは、先生のスパルタ講義&宿題に音を上げかけ、見捨てられかけたこともあったけれど、なんとか最後までついていった。
運が良かったことに、なぜかその年は試験が簡単だったのである。いや、もしかすると研究熱心な先生が常に検定の先をゆくレベルの宿題を出してくれていたからなのかもしれない。
今のわたしに、あの頃の学びが役に立っているかと言われると、申し訳ないくらいに役立てていない気はする。
けれど、これからもきっとここのシフォンケーキを食べるたび、あの頃の先生の立ち振る舞いを思い出して背筋が伸びるのだ。
世田谷線のおすすめカフェ シフォンケーキ専門店 若林「ラ・ファミーユ」店舗外観
世田谷線、久しぶりに散歩しました。若林の駅から歩いて数分のところに気になる黒板が。
エントランスから扉までの少し長い道のりに、期待度が高まります。
新店舗になってからのロゴなのかな? 姿勢の良いリスが差し出すシフォンケーキがかわいい。
世田谷線のおすすめカフェ シフォンケーキ専門店 若林「ラ・ファミーユ」店内
店内には焼き菓子からシフォンケーキまでさまざまなおやつがラインナップされています。
その奥にはちいさなイートインスペースも。ピアノがあったりレコードプレーヤーがあるのがよいですね。
2階もあるようなのですが、お菓子教室の時に使うのかな? 定期的にお菓子教室を開講しているそうなので、練習したら美味しいシフォンケーキが作れるようになる……かも。
世田谷線のおすすめカフェ シフォンケーキ専門店 若林「ラ・ファミーユ」メニュー
今日は、いちごのシフォンケーキを。しっとりふわふわの食感で、甘酸っぱいイチゴがあちこちに入っています。
がっつりランチを食べた後だったので、ひとつに抑えましたが、これは2,3種類いけたかもしれない……!
断面の気泡(正式にはなんて呼ぶんでしょうかね)の細やかさが、あのしっとりとした食感につながっているのでしょうか。
からだにやさしいお菓子づくりをしているとのことで、上品な甘さも含めて好きな味わい。
若林は東東京から少し遠いけれど、ここのシフォンケーキは定期的に食べたい逸品です。
世田谷線のおすすめカフェ シフォンケーキ専門店 若林「ラ・ファミーユ」店舗概要
住所:世田谷区若林5-4-9
公式Instagram:@la_famille_chiffoncake
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