手拍子したいのに、豪華なバンドの生演奏に合わせて体を動かすこともできない。
なぜなら、それは、悪を支持することになるから。たとえその悪党を担う演者が自分の好きな俳優であろうとも。
憧れのアイドルがきれっきれのダンスを踊りつつ歌っていたら、盛り上げて応援したいのはファンなら当然のこと。
でも、できない。
体が固まって、思うように動かない。
上演中、何度も演奏されるたびに徐々に恐ろしさが手前に迫ってくるような気がして、拍手すらできなかった。
いま、この時点で彼に声援を送ることが、悪を賞賛することになる。たとえ虚構での世界の出来事だとしても。
観客であったはずの自分が、いつのまにか舞台上で上演されているおぞましい作品の一部に溶け込んでいた。
いつだってリアルと作りものの世界が融合する瞬間に心が躍らされるけれど、こんなに相反する気持ちを体感した作品は初めてだった。
悲惨なシーンに流される、豪華な生バンドの演奏。誰でもどこかで聴いたことのあるジェームス・ブラウンの曲が盛り上がれば盛り上がるほど、悲劇が起きる。
「賛成なら手を挙げろ。ただし、それ以外は反対と見なす」
舞台の上からの脅迫の矛先は、わたしたち観客に向けられていた。
あのおぞましい出来事を、もちろん、ほんの微かではあるけれども、追体験したような感覚を身をもって味わった。
賛成なんてしたくないに決まってるけれど、追い詰められた状況で信念を貫くことなんて、いったいどれほどの人ができるだろうか。
すべてを分かった上で、客席に座りながら追い詰められた群衆のひとりとして役を演じながら、または主役の俳優のファンとして、賞賛の拍手を贈る人。
観客だったわたしたちが、いつのまにか群衆のひとりとして脅される恐怖で硬直している人。
もちろん、どう反応するかは観客に委ねられている。演出にのってこちらも演技をしかければいい。きっと2度目以降の観劇ならそんな余裕も出てくるかもしれない。
初めて観たわたしは、選ぶ余裕もなく、ただ震えた。
ちょうど今年、『夜と霧』を読んだことも関係しているかもしれない。
「どんな状況下に置かれても、自分の心がどう在りたいかは自分で選択できる」ということが著者のメッセージのひとつだと読み取ったけれど、物語の世界での体験ですら、わたしは恐ろしくて選択の判断が鈍った。
ぼんやりしちゃいけない。いくら熱狂しても、冷静な目線を忘れないでいること。操作されないように、ひとりひとりが意識し続けなければいけない。
それは、昔のことだけに言えることではなく、現在進行形のことなのだ。
長年SMAPという国民的アイドルグループで親しまれた草彅剛さんが、この役を演じるということ。
スタンディングオベーションで迎えた、何度か目のカーテンコール。強烈なヒトラーのメッセージが映される薄いスクリーンの向こう側に、熱狂する観客を見つめるウイがいた。
あれは草彅剛本人だったのか、それとも、ウイそのものだったのか。
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〈アルトゥロ・ウイの興隆〉、初演から気になっていたものの、なかなか行けず、再演を当日券で観ました。Twitterで話題になっていたのも強力な後押しになって。
稲垣吾郎さんの〈サンソン〉以来、2度目のKAAT神奈川芸術劇場。
KAATは駅から少し距離があるものの、近くには山下公園や横浜中華街もあって、観劇のついでにお買い物や散歩も楽しめるのが好き。
なによりハコの大きさなのか、設計がよいからなのか、2階の席からも観やすい気がしました。特にこの作品に関して言えば、上の階の方が1階席のお客さんがどんな反応をしているかが俯瞰できて、そういう意味でもおもしろかったです。でも、花道を演者が通るのを間近で観られる1階席もいいよね。物語とリアルが融合する瞬間。
前半はしばらく物語のテンポについていけず、「やばい!理解が追いつかない」と慌てました…。なんとなく「あの話」というのは、Twitterで知っていたものの、観劇前に予備知識を入れるのが好きではなくて、ほぼゼロで行きました。が、冒頭でさっくりと説明してくれるんですね。
前半のラストあたりの、ウイが覚醒しつつあるさまを目の当たりにして、一気に引き込まれたのち、まさかこんな体験をさせられるとは……。
横浜公演は12/3で千穐楽を迎え、残すは京都と東京のみ。東京のチケットは完売しているようですが、またいつか、この物語を味わえる日が来ることを願っています。
参考図書
そろそろ〈君の輝く夜に〉みたいなハッピーな作品も観たいです
夏の夜、ドライブインで見た夢。〈君の輝く夜に〜FREE TIME SHOW TIME〜 〉