桜が満開のニュースが流れた晴天の午後、わたしは何が楽しくて美術館の展示室で寝っ転がっているのだろう。
初台にあるオペラシティアートギャラリーは好きな美術館のひとつだ。
仕事がひと段落したので、気分転換に「Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx. /泉太郎」を観に来た。
入場料を支払うと、展示室の前に設置されているロッカーの扉を開けて、中に入っているマントを着るよう指示される。
ロッカーに手を入れ、中身を取り出そうとすると、想像以上にずっしり重い。
マントってポンチョみたいなものかと思い込んでいたが、遮光カーテンのような、光を通さない、するんとした触りごこちの生地で、真っ白というよりかは青白く、ボリュームがありすぎてダバダバの布切れのようだ。
展示室へ入ると、スマホで椅子に貼ってあるQRコードを読み込むように言われる。
表示されたサイトはLINEの通話画面のようになっていて、再生ボタンを押すと貞子(テレビから這い出てくる幽霊のアレです)から電話がかかってきたかのような、ボソボソと囁く女の人の声が聞こえる。こわい。
なにかを語りかけてくるが、ガサガサと雑音も大きく、おまけに女の人の声の奥にもうひとりぼやき続けるおじさんのような声も聞こえてくる。クリアな音で録音できるはずなのに、どうしてこんなに聞き取りづらいのだろうか。聞いても聞こえなくてもいいんだろうな、と思いつつ、ちょっとイライラしてくる。
その理由は、女の人が説明する後ろで微妙な間を取りながら「やだなぁ」「やりたくないなぁ」とため息混じりに呟く男の声も聞こえるからだ。「なんなの、このおじさんは!ここに来たならやりなさいよ」と、スマホの向こう側のおじさんに注意したくなる。
女の人は、しきりに「野生に戻れ」と伝えてくる。それ以外はほとんど覚えていない。
聞き始めた頃は聞き取りにくかったものの、数分経つとスマホから少し耳を離した方が聞き取りやすいことに気づく。そうして20分近くそのまま最後まで聞いていた。
ようやく音声ガイドのようなものが終わり、「立ち上がって進め」との指示で展示室の奥へ進む。ずるずるとマントを引き摺りながら歩く。
縦長に広い展示室のあちこちに、無人島に漂流した人が暮らした痕跡のようなものが残されている。その奥には、不時着したUFOのような巨大なオブジェが見えた。
奥に進もうとすると、係員から「それ以上進まないで戻ってください」と注意されてしまった。足元の立ち入り禁止マークがさりげなすぎて気づかず、危うく入ってしまうところだった。
出口の近くの壁には「マントを脱げ」と書かれていた。
展示室を出て、「このまま終わりだったらさすがに嫌かも……」と不安になったところで、係員からもうひとつの展示室へ向かうように伝えられる。
壁に書かれたイラスト付きの雑な指示に従って、左手でマントを持ち、右手で壁に置かれている黒い棒を取り、もうひとつの展示室へ入る。
いつもなら作品が展示されている展示室には、黒いテントが連なっていた。
そう、今まで着ていたマントをテントとして使うのだ。
土台を借り、黒い棒を立てる。そしてマントだった布をかぶせる。
テントを固定するためには杭が必要だが、ここは展示室。杭の代わりに2Lのペットボトルが用意されている。それを重石のように使い、自分でテントを立てる。水の入ったペットボトルはまるで猫よけのようだ。
テントを立てたら、奥にある土器で作られた(たぶん)番号札を取る。
このさらに奥には一人ずつしか体験できないVRがあるそうだ。1人あたり10分近くの体験だそうで、約20人待ち。ということは……。
短気なので「もう帰ろう」と思わなくはなかったけれど、ここで帰るとなると美術館でテントを立てただけで終わってしまう。さすがに入場料1200円を払ってここまででは浮かばれない。(限りある時間も惜しいけど)
考えようによっては、美術館にテントを張って個室が持てるなんて、滅多にできない体験だ。「寝てもいい」って書いてあったし。
せっかくならテントの中でぼーっとしてみよう。こんなに晴れて暖かい日なら、絶対に芝生のある公園に寝そべった方が気持ちいいはずだけれど。
でも、実は大きな布が作る空間はとても居心地がいい。
すっぽりと囲われると、どんな場所でも落ち着くことを思い出した。そういえば、外へ出られなかったご時世の頃、しばらくリビングでテント張って生活していたなぁ。
日差しの強い昼間の太陽の下もいいけれど、こんなふうに室内でも工夫次第で自分だけの空間が作れるんだった。それを思い出せただけで、わたしは穏やかな気持ちになってきた。
さて、この先自分の順番が回ってくるまで、あとどれくらいかかるのだろう。待てるだろうか。待った分だけ報われる展示内容なんだろうか。
待ち時間の暇つぶしに、寝そべりながらノートにこのテキストを書きつけていたけれど、よく考えたら美術館とはいえ、ふつうに床だし、毎日きれいに掃除してるだろうとは言え、汚れそうだな……?
でも、もういいや。野生に帰れとか言ってたし。なにより美術館で寝そべることなんて、今後もきっとないだろう。
2時間後、ようやく自分の番がまわってくる頃には、この半年間くらい決められずにもがいていたことを、テントの中で決断していた。
なにかあったわけではなく、ほぼなにもなかった時間での出来事だった。
待ちに待ったVR体験は、正直よく分からなかった。
というか、そもそもなにかわかったことなんてひとつもなかった。
けれど、なんだか頭がすっきりしていて、それだけで来た甲斐があったと思う。
今まであまり気にしたことがなかったけれど、どうやらわたしは現代アートが好きらしい。理解できないことに惹かれるのだ。
Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx. /泉太郎
東京オペラシティ アートギャラリー
https://www.operacity.jp/ag/
※展示は3月26日まで